介護の仕事をしていると、ときどき思うことがある。
認知症罹患者には、暴言や暴力がみられる方もいる。
もちろん、それを単純にその人の性格の問題として考えるべきではない。「認知症だから」と理解することは大切だし、病気によって以前とは違う言動が現れることもある。
が、「ばか」という言葉を知らない人から「ばか」という言葉は出てこない。
それができるなら私にも英語を喋ることができるはずだ。
そういう姿を見ていると、本人もずいぶん辛そうに生きているように見えることがある。
反対に、いつもニコニコして「ありがとう」と言っている人を見ると、周囲はおろか本人も幸せそうに見える。
そこで思い出す言葉がある。
マザー・テレサの言葉として広く知られているものだが、実際の出典については諸説あるそうだ。
「思考」が「言葉」になり、
「言葉」が「行動」になり、
「行動」が「習慣」になり、
「習慣」が「性格」になり、
やがて「運命」になる、というものだ。
私はこの考え方が好きだ。
人間は一日で性格が変わるわけではない。
一回「ありがとう」と言ったから優しい人になるわけでもないし、一回怒ったから怒りっぽい人になるわけでもない。
しかし、それを何十年も繰り返したらどうだろう。
考え方が言葉になり、言葉が行動になり、それを繰り返すうちに習慣になる。
そして、いつの間にか「そういう人」になっていく。
だとすればこれからの最強の認知症薬とは、これを嫌になるほど繰り返し教えてることにある思う。
人に挨拶する。
ありがとうと言う。
間違えたら謝る。
困っている人がいたら少し手を貸す。
相手にも自分と同じように感情があることを想像する。
汚いことは言葉は考えない。
一つ一つは当たり前のことである。
しかし、当たり前だからこそ、子どもの頃から何度も何度も繰り返す。
知識として覚えさせるのではなく、習慣になるまで繰り返す。
そして、その習慣を持った人が大人になり、社会の大部分を占めるようになれば、福祉とは困っている人を後から助けることだけではなくなる。
最強の福祉とは、対処療法ではないのだ。
認知症自体を防ぐのは難しい。
道がわからなければ家には帰れないし、短期記憶がなければ同じことを何度も聞く。
これは避けられないが、
この考えは将来の自身が少しでも穏やかに生きるために役立つのではないかと思っている。
私は勝手にこれを、
「幸せの義務教育」
と呼んでいる。